勇者は呪われてしまった。

SAD(社会不安障害)という呪いにかかってしまった勇者の日記

もしもSADじゃなかったら

歴史にIFはない、と言ったのは誰だか知りませんが、もし自分が社会不安障害でなかったら、こんなドイヒーのあがり症じゃなかったら、どんな人生を送っていたのだろうと思うことはあります。

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例えば、人前で何かをやろうとすると手が震えたりするから、音楽自体は大好きなんだけど、演奏の練習をしようとは思えなかった。(実際に、中学生時代の音楽の授業中、ギターの発表で手が震えて弾けず、ドン引きされた経験あります)

もしSADじゃなかったら、ギターでも真剣に習っていたかもしれない。今頃バンドでも組んで(これも対人での症状が発生するため難しい)、どこかでライブでもしてるかもしれない。ビートルズのカバーバンドとか楽しそう。

例えば、大人数の前でスピーチとかやると手が震えたり顔が赤くなったりするから、学生時代も、仕事場でも、いつも消極的だった。特にマイクを持つと手が震えるから、そんな状況になりそうな場合は、とにかく全力で逃げていた。

もしSADじゃなかったら、やってみたい仕事にもっと挑戦してただろうし、もっと自分に合った会社・仕事を探して成功していたかもしれない。「もしこれがうまくいったら、偉い人に会ってプレゼンしないといけない」という予期不安にも悩まされず、どんどん出世して世の中のために何かできていたかもしれない。

でも、それができなくて今があるのだから、それはそれでしょうがない。というか、それはそれでいいんだよね。

人生にもIFはない、と考えた方がずいぶん楽になる。IFがあるとすると、毎日が後悔地獄になってしまうわけで。

だから、大事なのは、あくまでこれからどうするか。今どうするか。

でもね・・・。そんなこたぁ頭ではわかっていても、グチグチ後悔して、不安を予期してしまうんですよ。我々みたいなもんは。それも現状は仕方ないと認めないとね。