勇者は呪われてしまった。

SAD(社会不安障害)という呪いにかかってしまった勇者の日記

全か無か思想:テキトーで行く難しさ

社会不安障害について勉強していて気づいたのは、いかに自分が今まで完璧主義者であったか。「XXでなければ自分はだめな人間だ」という強い思い込みがありました。つまり完全な成功が達成できなれば、それは完全な失敗であるという考え方。「不安もパニックも、さようなら」では、「全か無か思想」とありました。オール・オア・ナッシングっていうやつですね。

ただ、一般的にも近いことが広く信じられていて、たとえば「やりたいことがあるなら、やらなきゃ」とか「夢は叶えるもの」みたいな、自己実現しなきゃ駄目な人間という雰囲気。勝ち組・負け組の構造にも見え隠れしますよね。

精神がまともな人なら別でしょうが、僕なんかはこのような思想にすごく引っ張られすぎていたんだなぁと気づきました。もう、心底信じてしまっていて、だから、自己実現しきれていない自分は負け組なんだと。

いったん、適当でもいいんだ、と気づくと気が楽になります。

でも、本当の本当はこのことには長く気づいていて。「テキトーで行こう」というのはここ数年もモットーでもありました。こういうので何が難しいかって言うと、頭では分かっていても、気持ちとか感情がついてこない。頭では馬鹿げていると分かっていても、体や心がついてこない。適当でいいんだ、完璧じゃなくていいんだと頭でどれだけ理解していても、体はそう振る舞ってくれない。

映画「マトリックス」で「その道を知っていることと、その道を歩くことは別の話だ」みたいな名言ありますが、まさにそれ。分かっていても、そのように振る舞うのは本当に難しい。

認知行動療法の難しさって、まだ勉強し始めの今の段階から言ってたらだめだけど、この辺にありそうなんですよね。ただ、今までは自分の独自のやり方みたいな方法でやろうとしていたけど、今度は正攻法というか。ちゃんとした認知行動療法っていう方法論には、うまく自分の心とか体を制御できる方法が示されていることを願うのみ・・・。